« 2005年7月 | トップページ | 2005年10月 »

2005/09/21

9.11

忘れもしない、4年前の9月11日。その日は夏中、何となく様子がおかしかったゴンが、開腹手術により肝臓に複数の大きな腫瘍が発見された日だ。

その夜、病院から戻ったゴンの看病をしながら見ていたテレビのニュースは、信じがたい光景をライブで全国に流すことになった。2機目の航空機がNYのワールドトレードセンタービルに突っ込んだあの瞬間だ。あの瞬間に世界は別の解釈の中を突き進み始めたのかもしれない。

9月11日は、、、だからこれまでも私にとっては忘れがたい日だった。その9月11日が今年、本当に特別な日になった。

母が死んだ。11日の15時半だった。空はこの日も、あの日のNYのような青空だった。
それはあまりに突然で、まさに青天の霹靂。

母は、「宵越しの金は持たず(^^;)、遊び優先で怠け者、そのくせ口だけは達者」の父と、その父ソックリの性格の私とは正反対に、とにかく働き者だった。働いて働いて働いた人生だった。まるで止ったら死んでしまう回遊魚のような。。。兄夫婦の代になり、もう働かなくても良いのに、それでも外に勤めに出て、なおかつ家に帰れば、家に上がる前に畑の世話をしたり、花壇の手入れをするような人だった。葬儀は働き者で明るく、色んなところに顔を出していた母の、生前の付き合いの広さを物語るように多くの参列者の方で、焼香台の前に長い列ができていた。

母はまた、私の最大の天敵でもあった。この年になると、もはや本気で叱られたり、小言を言われたりといったことはなくなってくる。母は年に数回会うだけの私にいつも遠慮なく小言を言い、時には叱咤し、父を許してきたように、最後には私の生き方も許してくれていた。そして本当に嬉しそうに友達や父と行った旅行の話しや、愛する孫の成長振りを話してくれた。

私が親不孝だった分、私の姪、つまり母の孫娘が彼女に与えてくれた喜びは、何ものにも代えがたいほど大きなものだったと思う。母と姪は、お互いがお互いを必要としていた。意識を失った母のベッドサイドで、姪は何時間もずっと涙を流し、母の手を握り続けていた。その姪の思いは間違いなく母に届いていたと思う。「おばあ」が元気に戻ってくると信じていた姪は、おばあ宛の手紙を書き、それをおばあの病室の枕元にそっと置いていた。それは素敵な手紙だった。梨花、ありがとうね。あなたがいてくれたから、おばあは充実した日々を送っていたと思います。

もう、あの日に焼けた顔がクシャクシャにほころぶのを見られないかと思うと、悔しく、悲しく、親不孝三昧だった自分が情けなくなってくる。まだまだ叱られたかったなぁ。つまらないことで言い合って、小さなことで笑いあった。。。そういう時間のなんと暖かく、愛しかったことか。

「お母さん、あなたらしく潔い死に方でしたね。でもそんなあなたが1分でも1秒でも、彼よりも長く生きて見届けなければ!と思っていた病身の父。不祥な私もこれからはできるだけ様子を見に行きます。だからどうぞ、ゆっくり休んでくださいね」、、、って無理かな~?(笑)

安らかに。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年10月 »